学生の学生による学生のための大会
大学準硬式野球の今シーズンが、野球人の聖地・阪神甲子園球場で締めくくられた。
2024年11月21日(木)、小春日和の中で開催された「第3回全日本大学準硬式野球 東西対抗日本一決定戦」。全日本大学準硬式野球連盟の「甲子園プロジェクト」チームが企画・運営するこの大会に、本学準硬式野球部から4名の部員が選手・スタッフとして参加した。プロジェクトにおけるそれぞれの立場と経験を通じて、彼らは何を考え、何を学んできたのか。決戦前日に話を聞いた。
全日本大学準硬式野球連盟が管轄する全国9地区の連盟には269チーム(大学・学部)が所属し、約9,700人の学生が活動している。各地区・リーグで勝利を積み重ねた先には、文部科学大臣杯全日本選手権大会や清瀬杯全日本選抜大会、さらには各地区連盟の選抜メンバーで戦う9ブロック対抗大会があり、それぞれ40年から70年を超える長い歴史を誇っている。だが、「準硬式野球」が一般に認知されているとは決して言い難い。連盟関係者も選手たちも「認知度が低い」と一様に感じているのが実情である。
大学準硬式野球は「文武両道」を大原則としており、全日本連盟は設立当初から「学業も本気、野球も本気、アルバイトも本気」を謳っている。試合や大会の運営、さまざまな事務作業を学生主体で行なう一方で、学業が疎かになると選手たちの活動も制限されることがある。競技や活動を通じて学生たちの自主性や人間性を高め、スポーツマンとして、学生として、人としての成長を促すことを根底に置いており、将来にわたって社会で通用する人材を育成することをテーマとしている。
そうした中、準硬式野球の認知度向上を図るための施策として、「どんな学部の学生でも甲子園をめざせる」というスローガンのもと、2022年に「全日本大学準硬式野球 東西対抗日本一決定戦甲子園大会」が開催された。全国の連盟登録部員から公募で選ばれた選手・スタッフたちが東西2チームに分かれ、高校球児の誰もが憧れる「甲子園球場」で対戦するというもので、審判やボールパーソン、トレーナーも学生であるほか、大会の運営、営業、広報などの裏方までも、「甲子園プロジェクト」の学生委員が中心となって取り仕切る、まさに“学生の学生による学生のための大会”なのだ。
2022年の第1回大会は降雨により試合ができず開会式のみで終わったが、昨年の第2回大会は好天に恵まれ、エキシビションマッチ(前年の選抜メンバーによる対戦)に続いて行われた試合では、東日本選抜チームが勝利を収めた。
「阪神甲子園球場100周年」にも重なる第3回の今年は、初めて冠スポンサーがついて「三機サービス杯 全日本大学準硬式野球 東西対抗日本一決定戦」という呼称になった(以下、東西対抗戦)。同日午後には全日本連盟による全国大会「第42回全日本大学9ブロック対抗準硬式野球大会」の決勝戦が行われることになり、選手たちにとっても「甲子園」という舞台は大きなモチベーションになったと言えよう。さらに、クラウドファンディングを実施して、大会の運営・広報活動の一助として支援の輪を広げるとともに、SNS等を通じて東西対抗戦および準硬式野球の認知度向上への施策を展開した。
野球だけではない2泊3日の大会
11月19日(火)の午後、大阪市内のホテルに、東西選抜チームの選手・スタッフ約80名と、連盟のプロジェクト委員および理事ら10名が集合した。
(開会式で挨拶をする全日本準硬式野球連盟の鈴木眞雄会長)
大広間で行われた開会式では、連盟役員と東西選抜チームの団長、監督の挨拶に続き、両軍の主将が力強い言葉で健闘を誓った。さらに、本大会の発起人であり、大会ディレクターを務める杉山智広連盟理事(本学準硬式野球部コーチ)が「チームJUNKOとして、連盟も選手も一丸となって準硬式野球を盛り上げていきたい。そのためには現場にいる皆さん一人ひとりが、いいパフォーマンスを見せ、自分たちで発信して共感してもらうことが大事。皆さんの力で、これからの準硬式野球の発展につなげていってほしい」と語りかけた。
(「甲子園大会は、準硬式野球の未来を引っ張っていく人材育成の場でもある」と語った杉山大会ディレクター)
東西対抗戦は、甲子園で試合をするだけの大会ではない。2泊3日の期間中には、大学準硬式野球の理念に基づいた人材育成に寄与するプログラムが実施される。開会式の後に行われた、元JOCインテグリティ教育ディレクターの上田大介氏による研修会もその1つ。 「スポーツ・インティグリティの追求」というテーマで行われた約90分の講義では、数多くの日本のトップアスリートたちと接する中で体感してきたという上田氏から、夢や目標を叶えられる人とそうでない人の違いや、夢を叶えるためのヒントとして「考え方のフレームワーク−Will(やりたいこと)・Must(すべきこと)・Can(できること)」が紹介された。さらに、その実現のためには社会からの信頼を得ること、“人間力”を高めることの重要性が説明された。
(インティグリティ研修では、講師の上田氏から学生たちにさまざまな質問が投げ掛けられた)
「スポーツに限らず、社会人になっても使えるものなので是非覚えてほしい」という言葉に、学生たちは真剣な表情でメモを取りながら耳を傾け、時折、上田氏が投げかける質問にも、マイクを向けられた学生たちは臆することなく自分の考えを述べていた。
上田氏は「みなさん、思ったより話をしてくれたし、受け身ではなかったことに驚きました」と話し、「みんな目的意識を持って集まっているので、少し突いてあげればどんどんいい答えが出てくるし、変わっていく可能性は十分ある。そこをこれから自分自身でどうデザインしていくのかが大事だし、僕も見てみたい」と、学生たちの成長に期待を寄せていた。
翌20日(水)、2日目のプログラムは大阪湾岸エリアの球場でスタート。午前中は所属大学のユニフォームを着ての練習と東西対抗プレ試合が行われ、多くの選手たちが他連盟の選手のプレーを初めて見ることになった。 また午後からは、スポンサー企業との交流を目的とした「ベースボール5」を実施。温かな日差しの下、選手たちは初めて体験する“自分の手で打つ野球”に戸惑いながらも、企業社員の方や他大学の選手・スタッフと会話を交わし、笑顔あふれる時間を過ごした。
さらに、宿泊先の神戸のホテルに移動し、就職活動の心得と企業説明会などのキャリアガイダンスを開催。学生たちにとっては、今後の就活に向けて企業がどういう人材を欲しているのかを知る機会となり、その後に行われた参加企業の方との交流夕食会では、各テーブルで企業の担当者の話を聞き、質問する学生たちの姿も見られた。
(学生と社会人がチームを組んで行われたベースボール5は、和やかな雰囲気の中、笑い声が絶えなかった)
(メインスポンサーとなった経緯や会社説明などの話に耳を傾ける学生たち)
(食事をしながら企業担当者とも交流)
東西選抜チームのメンバーは、団長と監督・コーチ以外は、選手はもとより、学生委員長、マネージャー、スコアラー、トレーナー、ボールパーソン、審判まですべて公募である。だが、応募に際しては自己推薦書類に加えて、常日頃の野球への向き合い方や人物評、学業面を評価した第三者の推薦も必要とされるため、「甲子園に出たい」という自分の意思だけでエントリーそのものができない。さらに、東日本選抜は北海道、東北、関東、東海の4地区から、西日本選抜は北信越、関西、中国、四国、九州の5地区から多数の応募者があるため、厳しい書類選考を経て選抜チームの25名に選出されるだけでも至難の業なのだ。
本学から唯一、選手として参加した内野手の山口瑶介選手(経済2・日大二)は「合格する自信はまったくありませんでした」と笑う。6月に行われた「関東JUNKOオールスター2024」に東都大学連盟選抜の一員として出場し、選抜チームでプレーする楽しさを知ったのが東西対抗戦への応募のきっかけだったが、当初は「どうせ受からないだろう」と応募することをためらっていた。それでも、「書類を出せるならやってみた方がいい」と背中を押してくれたのは、東都選抜でいっしょになった他校の選手の言葉だったという。 「マネージャーから合格したというのを聞いて、まず驚きました。それから“甲子園でプレーできるんだ”っていう喜びが湧いてきました」
(本学 山口瑶介(経済2・日大二))
甲子園を目指していた日大二高3年の夏は3回戦で敗退。その試合の9回、最後の打者となった山口選手は「野球をするのは高校までと決めて3年間やっていましたが、悔いが残る形で終わってしまって」と、野球を続けたいという気持ちが湧いてきた。「大学の硬式野球はレベルも跳ね上がるので」と迷っていたところ、高校の先輩やOBが準硬式野球で活躍しているという話を聞き、興味を持ったという。
当初は、準硬式野球について「サークルまではいかないものの、ちょっと遊びも入って、ゆるい感じなのかな」と捉えていたが、入部してそのイメージが変わった。「最初に勉強があって、野球もやって、かつアルバイトもやってと、全方向に全力でやる。大変な部分もあるけれど、自分を磨ける環境だと今は思っています」
甲子園決戦の前夜、ここまでの2日間の感想を聞くと、「同じリーグで戦った選手や東都選抜チームでいっしょだった選手のほかにも、いろんな選手と話す機会がありました」と話し、「意識の高い人が多い」と感じたという。「全日本選手権で優勝経験のある西日本選抜の主将の方ともお話させていただきましたが、ただ試合のことを考えているのではなく、練習の時からどれだけ試合を意識してやるのかというところで、練習に対する意識が違うなって感じました」
さらに山口選手は、「それまで漠然と持っていた夢や目標を、より具体的に深く考えられるようになった」と、初日に受講したインテグリティ研修の成果も感じているという。「今、日大としてチームの組織力を高めようとしていますが、研修で学んだWill・Must・Canの考え方や取り組み方などの話を持ち帰って、チームとしての目標やチーム全体としてやるべきことに落とし込んでいきたい。そこから『日本一奪還』をめざしていきたいと思います」
東西対抗プレ試合でも1番・セカンドで先発し、活躍した山口選手。翌日の試合本番への意気込みを尋ねると、「緊張するとは思いますが、自分は笑顔と声の大きさが売りなので、そこは自分らしくやっていきたい。そして思い切りのいいバッティングをしたいと思います」と力強く答えた。
(インテグリティ研修にも積極的に取り組みました)
(他大学の選手との交流はとてもいい機会でした)
(東日本選抜のトップバッターとして勝利に貢献しました)
大会初日の19日、落ち着いた口調で開会式の司会進行を務めたのは、本学準硬式野球部マネージャーであり、関東地区大学準硬式野球連盟の学生委員でもある久保田里江子さん(法2・日大櫻丘)。今回、初めて甲子園プロジェクトチームに加わり、大会開催に向けてさまざまな役務を果たしてきた。
高校時代も野球部のマネージャーを務めていた久保田さんは、初戦敗退で最後の夏が終わった時に、「自分でもっとできることがあったのでは」と、物足りなさを感じたという。大学に進学しても野球部のマネージャーをやりたいと思っていたが、強豪高校でのマネージャー経験者が多くいる硬式野球部は、「自分のレベルでついていけるか、自分がやりたい仕事ができるのか」と不安があった。
そんな時、ホームページを見てその存在を知った準硬式野球部に興味を持った。体験入部に行き、マネージャーの今井瑠菜さん(経済学部・当時3年生・日大鶴ヶ丘)からさまざまな話を聞き、直感的に正式入部を決めた。 「今井さんに、『強いマネージャーがいる代は、強いチーム』というお話を伺いました。先輩から代々受け継いできた言葉ですが、何だかカッコいいなと思いましたし、今井さんのようなマネージャーがいるところでやりたかったので、自分の中では『あ、ここだ』って思い、その日に決めました」
それから2年、今井さんが今夏で引退し、現在は同期生と2人だけでチームを支えている。上級生の幹部と関わることも多いが、各種SNSを通じた情報発信にも力を入れているという久保田さん。「どういう企画で発信すればファンや応援してくれる人が増えるのか、表現の仕方なども含めて苦戦しています。今でも時々、今井さんに『その伝え方は違うんじゃない?』とご指摘いただくこともあります(笑)」
また、元々”大会運営”という裏方に興味があったという久保田さんは、関東地区連盟にも所属し、東都連盟におけるリーグ戦時は本部でスコア係や場内アナウンスなどを担当。「関東JUNKOオールスター大会」の運営にも携わってきた。さらに、1年生の時、甲子園プロジェクトの学生委員として活躍する今井さんの姿を見て、自分も関わってみたいという思いを胸に抱いていた。それだけに「連盟の理事や学生委員の先輩の方から、『甲子園大会、どう?』って声を掛けていただいた時はとてもうれしかったです」。
甲子園プロジェクトチームの学生委員は、各地区の連盟で運営を担っている3・4年生で構成されており、久保田さんはその中で唯一の2年生だった。「自分にできることを精一杯やろう」と思っていたものの、「先輩のみなさんのレベルが高くて、初めてのことばかりの私はついていくのに必死でした」と振り返る。それでも甲子園プロジェクト委員として3年目となる今井さんがいたことは心強く、多くのことを相談しながら取り組んできた。
約8ヶ月の準備期間において特に印象的だったのは、大会パンフレットの制作に携わったこと。最初の表紙のデザイン案は自分でも納得いっていなかったが、とりあえず学生委員のグループに提出した。すると、今井さんから叱咤激励の言葉が返ってきた。「あなたならもっとできるよ。あなたはいつもこんなんじゃないでしょ。もう一回考えてみよう」 改訂案について今井さんと長い時間話し合い、ようやく満足いくものを生み出すことができた。「今井さんに助けられながら、一緒に完成させられたのがいい思い出です」
(久保田さんが表紙デザインを手がけた大会パンフレット)
大会がスタートしてからは、「とても緊張しました」という開会式・研修の司会に始まり、SNSでの情報発信やバックヤードの諸事対応、さらにグラウンドに出て選手たちの姿をカメラで追うなど忙しく動き回る。 「この2日間は、プロジェクトチームの先輩方にたくさん質問して、ずっと動いてきました。東西の選手・スタッフの方とも交流することもでき、いい時間を体験しています」
翌日の大会本番を前にした心境を尋ねると、「甲子園球場に行くのも初めてなので、今はとてもワクワクしています」と目を輝かせた久保田さん。当日も現場でいろんな役割を臨機応変に行っていくというが「大会運営がスムーズにできるか、自分がどうプロジェクトチーム、そして甲子園大会に役立てるかっていうのを、今もずっと考えています」と話し、「明日になったら、たぶん緊張しすぎて胸がいっぱいになるんじゃないかなと思いますね」と笑った。
(スムーズな研修の進行に大いに貢献)
(スムーズな研修の進行に大いに貢献2)
(本学から選出された選手と共に)
そして大会最終日、11月21日(木)、温かな日差しが降り注ぐ阪神甲子園球場で、東西対抗日本一決定戦のプレイボールを迎えた。
~後篇へ続く~