大学準硬式野球のチャンピオンシップである本大会は令和5年8月22日(火)から8月28日(月)の間、大阪府と滋賀県で開催され、決勝戦は「くら寿司スタジアム堺」で行われた。
日本大学は2年連続の決勝進出を果たし昨年と同一カード(関西地区代表の大阪経済大学)の決勝戦となったが、惜しくも敗退し準優勝で幕を閉じた。全日本選手権大会とそれまでの軌跡を振り返る。

現在の日本大学準硬式野球部は、一般選抜・総合型選抜・学校推薦型選抜・付属選抜等で日本大学に進学し、日本大学準硬式野球部に入部を熱望する選手が集まっている。現在部員は71名。専用グラウンドを保有しておらず、高校野球のように思い切ってグラウンドで練習することはできない。でも、なぜ、多くの学生が入部を希望し、全国の舞台で2年連続決勝戦に進出することができるのだろうか。

グラウンドなし、スポーツ推薦なし

前述のとおり、日本大学準硬式野球部は専用グラウンドを保有していない。部員は入学時「この環境でやるの?これで日本一目指すの?」という戸惑いがあったと口を揃えて言う。
主に使用するのは八幡山寮敷地内にあるゲージとトレーニングルームのみ。走塁練習や連携プレー等の練習は難しい環境だが、学生はポジティブに捉える。バッテリーチーフを務める4年の金子(理工学部・佐野日大)は「グラウンドが無いからこそ、この環境でどのように勝っていくかを皆で本気で考えられたことが、野球選手としても人間的な成長にもつながったと思います。この環境こそが日大の強さだと思っています。」と語る。
また、スポーツ推薦の学生はおらず、学年ごとで人数や能力に差が出ることも多々あるが、その中で戦っていける理由を次期主将候補の石田(スポーツ科学部3年・東海大甲府)はこう語る。「全ての能力に長けている選手はいませんが、何かに特化している選手は沢山います。皆の個性と強みを集結させて戦うのが日大のスタイルです。」

「スタッフと会えるのは土日だけ」学生主体ではあるが「大人」を意識

学生を指導するスタッフは米崎寛監督をはじめ多数いるが、平日は仕事でいない日が多く、土日しか会えないことの方が多い。そのため、練習内容の検討や部全体の統括、出場メンバーの選定等は学生幹部を中心に考え、スタッフに提案し、承認を得る。学生主体ではあるが、学生に全ての決定権があるのではなく、上には「大人」がいることを常に意識している。主将の中島(経済学部・日大鶴ケ丘)は「やらされる練習ではなくなり、練習への向き合い方が変わりました。自分たちで考えるからこその責任がありましたが、野球に対して深く考えることができました。監督・コーチに何かを提案する際はきちんとした根拠をもって説明ができないと意見が通らないので、伝える能力が身につき、就職活動にも生かされました。」と自身の成長を語る。
このような環境下で日々、全日本選手権での優勝を目指し取り組んでいる。グラウンドがない、指導者がいないといった負の状況をプラスに変え、「日本一のチーム」と「日本一の人間力」を目指し挑んだ今年の全日本選手権を振り返る。

チーム中島の軌跡

昨年、全日本選手権大会で優勝を成し遂げてから1年。チームは中島健輔(経済学部・日大鶴ヶ丘)を主将とし、新体制を迎えた。

華々しく日本一を達成してからは、苦しい日々が続いた。直後に開催された秋季リーグ戦では《3位》。試合に出るメンバーにさほど変化はなかったが、思うように勝てない。二連覇を達成しなければいけないという重圧。「日大は強い」との周りからの評価。中島は「とにかく新チームになってからは苦しかった。悩むことが多かった」と話す。そんな中島を変えたのは、11月に開催された全日本連盟主催の東西対抗甲子園大会日本一決定戦、オーストラリア遠征だった。「昨年の大阪経済大学で主将を務めていた大手さんから、主将が1番ブレてはダメだとお言葉をいただきました」

それから少しずつ、中島はキャプテンとしての在り方を確立させていった。チームも中島についていく選手が増え、関東選手権大会では《準優勝》、春季リーグ戦は《2位》で終え、確実に力をつけていった。全国大会の出場予選会では24対2で群馬大学に勝利し、全日本選手権大会出場を決めた。

全日本選手権大会 戦績

1回戦

6 2

VS帝京大学

同リーグ所属、帝京大学との一戦。関東選手権大会決勝戦では帝京大学に惜敗したため、気合の入る一戦となった。本学は初回小川(文理学部2年・日大豊山)・小林(文理学部4年・土浦日大)の適時打などで一挙6得点。投げては清野(スポーツ科学部4年・日大鶴ヶ丘)・足立(文理学部2年・日大豊山)・首藤(文理学部1年・日大豊山)が好投を見せ相手打線を2点に抑え勝利した。

2回戦

3 0

VS北海道 大学

初回に半田(法学部3年・佐野日大)の適時打で先制。2回にはさらに1点を追加すると、8回に中島が適時打を放ちダメ押しの1点を奪う。古賀(スポーツ科学部4年・佐賀商業)・阿部豊(商学部3年・土浦日大)の投手リレーで相手打線を完封し3-0で勝利した。

3回戦

3 1

VS中京大学

東海地区王者中京大学との一戦。6回まで1-1と両者譲らない展開が続いた。試合が動いたのは7回。先頭の湯元(商学部4年・日大二)が左前打で出塁。その後2死3塁となった谷口(文理3年・宮崎日大)の打席で相手の捕逸で勝ち越しに成功。8回には山本(商学部3年・桜美林)が右前打を放ち2塁走者の代走の森(法学部3年・日大豊山)が激走し本塁に生還した。先発の古賀と継投した足立が我慢強く投げ切り、チームに流れを引き寄せた。

準決勝

2 0

VS中央大学

同リーグ所属、リーグ戦無敗の成績を誇る中央大学との一戦。中島の代で中央大学に勝利したことはなく、春季リーグ戦では17失点コールド負けを喫していた中央大学相手に気持ちの入る一戦となった。投手戦となったが、先発清野が5回途中まで3塁を踏ませない好投を見せると、リリーフした期待の新人右腕首藤が2死満塁の大ピンチを切り抜けるなど、投手陣の力投が相手打線を封じ込んだ。7回まで両チーム無得点と痺れる展開が続いたが勝利の女神は本学に微笑んだ。8回、主将中島が右前打で出塁すると、半田のバスターエンドランによる左前打で続きチャンスを作る。代打河野(経済学部4年・鳴門)の犠打で走者を進めたあと、山本が先制の2点適時打を放ち均衡を破る。その後は継投した足立がしっかりと0点に抑え2-0で勝利した。

決勝

3 6

VS大阪経済 大学

昨年と同カードとなった大阪経済大学との決勝戦。2回に先制されるがその裏すぐに小川がスリーバンドスクイズを決め同点とする。直後の3回に大経大に3点を追加され、1-4と昨年同様の追う展開に。その後も大経大にチャンスを作られるが、高良(経済学部3年・日大)、古賀が踏ん張り無失点で回を進めていく。本学の反撃は6回。1死から半田が四球で出塁すると、代打の村山(経済学部3年・日大豊山)、途中からマスクを被っていた金子(理工学部4年・佐野日大)の連打で作った1死満塁の絶好のチャンスに今大会絶好調の山本に打席が回る。1ボールから山本が振りぬいた打球はレストスタンド一直線に伸びてゆき、満塁ホームラン!!!、と思われたが惜しくもレフトフェンス直撃となり適時2塁打により2点を返し、1死2、3塁とチャンスが続いたが後続が続かず同点、逆転とはならなかった。7回、8回にもチャンスを作るが得点が奪えず、逆に8回にダメ押しの2点を追加され、逆転したい本学であったが最後まであと一本が出ず二連覇の夢は叶わなかった。

本大会もメンバーであろうがスタンドの学生であろうが、チームの指針である「一体感」が生まれた。これは、チーム全員で本気で日本一を目指しているから、本気で笑い、本気で涙を流し、仲間と特別な時間を過ごすことができる。高校野球のような夏が終わったような感覚が大学準硬式野球にも存在する。もしかすると野球人生最後かもしれない大学準硬式野球のほうが、思い入れが強いかもしれない。
決勝戦の敗北を意味のある敗北にすることができるか。決勝翌日、チームは新たなスタートを迎えた。悔しさが残る表情ではなく、もうすでに日本一奪還に向けた清々しい顔で宿舎を離れた。
来年の夏の激闘が今から楽しみでならない。

全日本選手権大会特集

今大会注目選手に選出されたのは3年の山本だった。
昨年度の全日本選手権大会では直前に体調を崩しスタメン落ち。悔しさをバネに試合に臨んだが、1・2回戦はノーヒットに終わる。
そんな山本は今回宿泊したホテルで部屋の電気が勝手につくといった不可解な現象に襲われていた。冗談半分でチームメイトに「塩でも買ってくれば?」と言われると早速実践。次の日から2試合連続猛打賞の活躍を見せ、お清めの塩の効果を発揮した。山本は今大会を「とにかく結果を残すのに必死でした。1・2回戦は結果が出ず、なんでもいいから不調を好調に変えるきっかけがほしかった。
準優勝の悔しさ、これまでの経験を最後の1年に活かして、もう一度全国制覇します。
不可解な現象が起きる部屋にはもう泊まりたくないです(笑)」と振り返った。

ラストミーティング秘話

決勝戦後、主将・中島健輔と副将・小林楓也(文理4・土浦日大)は同級生や後輩たちに涙ながらにラストミーティングで想いを語った。
中島は後輩一人一人にメッセージを送ったが、中でも印象的だったのは首藤玄大(文理1・日大豊山)に対するメッセージだった。
「俺らのために、もう投げられなくても良いって言ってくれて本当にありがとう」
今大会のコンディションは万全ではないなか、それでも1回戦の対帝京大学戦では1回を無失点に抑え、準決勝の対中央大学戦では二死満塁のピンチを迎えるも圧巻のピッチングを見せ、2回を無失点に抑えた。首藤は中央戦をこう振り返った。
「満塁のピンチは、緊張という言葉では表せませんでした。胸が抉られるような感じ。でも全く試合前の緊張はなかったですし、勝てると思っていた。中央戦で投げることは決まっていて、コンディショニングを踏まえて自分に休養を与えてくれていた。その分絶対に中央戦は4年生のために投げようと思いました」
首藤は中央戦後、決勝戦も投げたいと懇願した。連投は心配されたが、それでも投げたいという気持ちが強かった。
「連投になるけど、今後のことは考えていなかったです。それくらいこの大会にかけていた。しばらく投げられなくてもいいやって思っていました」
決勝戦での登板はなかったが、彼がチームの流れを変え、勝利に貢献したことは紛れもない事実だ。
「来年絶対リベンジします」首藤の今後の活躍が楽しみだ。

決勝戦前日秘話

決勝戦前日、宿泊していたホテルの近くに河川敷があったのでメンバー全員で素振りを行った。
そこで私が耳にしたのは半田陸人(法3・佐野日大)のある一言だった。
「さすがに4年生を日本一にしてやろうぜ」
半田は普段、マイペースで気持ちを前面に出すことはないが、実は野球に対して熱い想いを持っている。
1年春から公式戦に出場。誰よりも長く4年生との時間を過ごしてきた。この大会にかける想いは人一倍だった。
「1年春から試合に出させていただき、4年生とは約3年間一緒に野球をやってきました。たくさんの試合をやって勝つ試合も負ける試合もありましたが、最後の試合はどうしても勝って終わりたかった。決勝戦、自分が打てずにチームも負けてしまいました。日本一になって健輔さんを胴上げしたかったしみんなでマウンドに集まりたかった。今でも悔しさが残っています」
決勝戦後、普段の天真爛漫な性格とは裏腹に半田は黙り込んだ。私には悔し涙を我慢しているように見えた。
「4年生のために打ちたかった」心からそう思っていたのだ。そんな半田への想いは、主将・中島も強かった。「半田とは約3年間レフトとセンターを守ってきました。そして打順も2・3番と常にセット。大会前に、『健輔さんと組むのもあと5試合だ』と。5試合フルで一緒に出ることができて本当に嬉しかった。でも、終わってしまうとやっぱり寂しいし、もっと一緒に野球したかったなって思います」学年は違えどライバルであったと話す。誰かのために何かをするという想いは想像以上に力を発揮することができる場合がある。

大会後記

本大会もメンバーであろうがスタンドの学生であろうが、チームの指針である「一体感」が生まれた。
これは、チーム全員で本気で日本一を目指しているから、本気で笑い、本気で涙を流し、仲間と特別な時間を過ごすことができる。高校野球のような夏が終わったような感覚が大学準硬式野球にも存在する。もしかすると野球人生最後かもしれない大学準硬式野球のほうが、思い入れが強いかもしれない。決勝戦の敗北を意味のある敗北にすることができるか。
決勝翌日、チームは新たなスタートを迎えた。
悔しさが残る表情ではなく、もうすでに日本一奪還に向けた清々しい顔で宿舎を離れた。
来年の夏の激闘が今から楽しみでならない。